ホンダはかなり古くからシビックの輸出しており、1972年11月にシビック1200をアメリカ市場(USDM)などに輸出をスタートさせています。
更に同年、12月にはシビック1200をドミニカに輸出をスタート。
この年、CVCCエンジンの搭載車が、アメリカのマスキー法75規制に合格し、1973年、米国環境保護庁がCVCCエンジンは75年マスキー法に合格した事を発表。
1973年には、シビック1200は、オーストラリア、イギリス、フランス、ベルギー、オランダ、マレーシア、カナダ、ニュージーランドへ輸出を開始して、シビックが世界戦略車として成長していきます。
同年、米国科学アカデミー(NAS)がCVCCエンジンを絶賛し、’73ヨーロッパカー・オブ・ザ・イヤーに日本国内の自動車で初めて、10位内に入賞し、シビックが世界の人々が認めたという証を得て、ホンダが受け入れられるようになりました。
一方、アコードの輸出は、少し遅れて、1976年からアメリカ市場(USDM)への輸出がスタート。
1979年には、マレーシアにおいて、ノックダウン生産がスタートし、1982年には、アメリカのオハイオ州において日本の自動車メーカーで初めてとなる乗用車の現地での生産をスタートさせることになります。
CVCCエンジンやオーバードライブ付ホンダマチックを搭載するアコードは米国’77カー・オブ・ザ・イヤーのアンダー5,000ドル部門や豪州’77カー・オブ・ザ・イヤーを受賞するなど、シビック同様、世界の人々が認める日本車となりました。
CVCCエンジンやホンダマチックといった高度な技術を搭載した自動車でホンダは世界の自動車市場を席巻することになります。
小さくてハイパワーなホンダ車がアメリカで人気
CVCCエンジンで海外に高い技術を見せつけたホンダがVTECエンジンを開発に成功し、1989年に量産化。
VTECエンジンを搭載したインテグラ、シビック、CR-Xなどがアメリカ市場(USDM)などに輸出され、世界の人々が驚きました。
レッドゾーンまでストレスなく吹け上がり、全回転域がパワーバンドのようなVTECエンジンに加え、軽量でコンパクトなボディは、いままでのアメリカの自動車とは一味も二味も違う魅力があり、アメリカの若者を惹きつけました。
現地では、比較的に安価なホンダの自動車を、チューニングやドレスアップして、楽しむことが流行り、この流れは、日本にも広まりました。
ホンダは、CVCCエンジンの開発に成功しマスキー法75規制の合格することで世界に名声を広め、CVCCエンジンを搭載するシビックやアコードが世界から受け入れられる自動車となりました。
更に、VTECエンジンを開発の成功によって世界を驚かせました。このようなことからホンダの自動車が世界で人気となりました。