「34が燃えた」との一報に、送られてきた写真を見て、あまりにも衝撃的でなまめかしさまで覚えた記憶がある。
一体何があったのか?これはER34なのか?いったい何が写っているのか?
状況を理解するまで時間が必要だった。
人生には時として望まぬアクシデントが起こるのは確かだ。だが、車に全てを捧げた20代の若者にとってあまりにも酷な話。
今回は、すべてを失った男が復活するまでの話をしたいと思う。
事件前
翼氏がシーンに頭角を現したのは2019年のドリドレ。
オオクボファクトリーの4DOORGT-R仕様にホリンジャーまで入れて、周囲にもこれからという期待を集めていた。
ストリートシックでもカメラマンがしきりにシャッターを切っていたのを覚えている。当時、視線を集める成長株といった感じだった。
そんな折、翼氏は職場の移転などの事情から手持ちの部品やER34など自分の財産と呼べる物すべてを実家の倉庫に移動させた。
事件はその直後に起こってしまう。
火災
「僕は実家にはいなかったんですけど。アパートで寝てて朝5時頃に電話かかってきて…」
「急いで実家に行った頃には火はほとんど消えてて、煙が出てたくらいでした。その時はほんとどうしようかって。現実感がないというか。外装がほぼFRPだったんで、何もなかったんですよね。面影と言うか」
2020年の5月15日の明け方。
「ほんとに自分の車なのか。とりあえず片付けないといけなかったんで。何してたかな」
火災直後は放心状態だったようだ。何か残ってないか?という想いからか使えるかも分からないホリンジャーを降ろしたそうだ。
「ホイールも車高調も溶けてましたね。奥にちょっと見えるキャリパーも溶けてて。車ん中にドリケツもあったんですけど、ほんとどこ行った?みたいな。タイヤはワイヤーの束が残ってるくらいで」
エンジンもアルミ系はほぼ溶けてなくなる。ホイールも溶けてなくなる。こんな事があるのだろうか?壮絶な光景である。
ER34の横には、34の箱が置いてありフロアのスポット打ちが終わって、ロールバー溶接の最中だった。まさにこれから走りを追求する者としてステップアップの時期だったのだろう。
相当な資金も投入していた事が分かる。
警察と消防いわく漏電ではないか。との事だが釈然としない。翼氏は人に恨みを買うようなタイプでもない。
「証拠があれば別ですけど、全然何もなかったし誰もいなかったし…」
誰かに当たる訳でもなく、気丈に振る舞っていた様子だが、さすがに事後の虚しさや後悔は襲ってくるもの。
「正直…車はもういいかなと思ってたんです」
救いの手
喪失感の中、現場の片付けが落ち着いた頃。SNSに火災の報告をした際、復活劇が始まる。
「色んな人が、ええ!?みたいな感じになってました。その時に、2017年だったかな、34祭の時にピットが隣だったZさんという人がいて。ツイッターで繋がってて。そしたら、ボディだけあるけど取りに来るなら?また作るって言うなら、あげるよみたいな感じで言われて」
「こんなこと言ってくれる人もいるし、自分以上にショック受けてるような人たちも何人かいて。そういうの見てたら、もう一回造った方がいいのかなみたいな気になってきて」
いくら箱とは言ってもあげるような物ではない。まして貴重な34。翼氏は周囲からもこれ使う?など声をかけてもらって落ち込んでる場合ではなかったようだ。
「で、ボディをZさんの所に取りに行ったら、そういえばそこにエンジンあるからみたいな(笑)。シートを掛けて外に置いてあったんですけど。使えるか分かんないけど、一応RB25で2.6Lとかなってるからみたいな感じで、使えなかったら鉄クズで捨ててくれみたいな感じのノリで貰ってしまって(笑)」
そんな話ある?と思わず聞いてしまったが、Zさんのとった行動は間違いなく翼氏を奮い立たせる事になる。
制作開始
こうして火災から一ヶ月もしないうちに、復活を目指してマシン制作が開始された。
作業は主にオオクボファクトリーの協力の元、翼氏自身によるボディ制作。そしてエンジン関係はRSタカギ。翼氏は仕事でもカスタム業務に携わっているため、できる所は自分でやるという同時進行の制作が始まった。
さながら総力戦といった編成である。
どうせ復活するなら、できる限りの事はしようという想いもあり、ボディも造り込んでいく。
その間、何度か岐阜まで飛んで様子を見てきた。
「エンジンを積んだ時、パッと見、この配管が見えないようにマスターバックの裏を通して、耳の下を通してとか。そんな感じでブレーキ配管を引き直してます。配管とかも全部作って、マスターとかも磨いてみたいな感じで」
エンジンルームは補修をしてパイプ、バーリングプレートで補強。さらにスポット増しをしている。
「僕の方でエンジンミッションを一回積んで。ミッションがないとトンネルも作れなかったんで。で、室内作ったりいろいろして、車体ごと高木さんの所に持っていきます」
RSタカギ
それからまた少し時が経ち2021年の冬頃、ある程度進んできたとの事で再び岐阜まで様子を見に行った。
岐阜の養老にあるレーシングサービスタカギは知る人ぞ知るといったチューニングショップ。
お店に着くと、完成にはまだ至らないもののエンジンが載っている34の姿があった。
ショップのオーナーである高木さんはこだわりの職人さんといった感じで、お店はいわゆるレース屋さんといった雰囲気。板金以外はすべて自身でこなすというスキルフルな人物でもある。
少し話しただけでもその話の内容から知識の深さや経験を感じる事ができる。例えば、筆者の非常にくだらない質問にもこう答えてくれた。
ーーー配線って難しくないですか?
「簡単ですよ。付けたいものがどうやって動いて、どういう電流が流れてどうやって動かしたいっていうのが明確であれば、その通り線を繋げてあげればいいだけなんで」
「よくトラブルのはこれがこういうふうに動かさなくちゃいけない、こうやってコントロールするっていうのを決めずに何となくワサワサってやると。途中から枝分かれを作るとか、またその先に二股を作ったりとか、誰かがギボシで二股にしたりとか。そうなると多分トラブルになりますよね」
実に真理である。
取材日は34に採用されたLINKの配線を進めていたが、周りには作業待ちの車両が並ぶ。
「うちは32、33、34、35が多いかな。タイムアタック、グリップの方で鈴鹿走ってるような方、ドリフトの方もいますけど」
何かに特化している訳ではなく、車種も縛りがある訳ではないが自然とそうしたお客さんが集まり、20年来のお客さんも少なくないという。
面倒見
高木さんにとって翼氏の火災はどう感じたのだろうか。
「僕自身が凹まないタイプなので、なったものは受け入れるしかないし、どうやって復活するかって話の方が先でしたね」
「だからすごい部品かき集めましたよ(笑)。タービンある?タコ足もある?サージもある?みたいな。何々ある?ミッションもうちにスペアがあるでぇ。とりあえず積め、とりあえずやるぞみたいな」
いくら親しい間柄とはいえお店をかまえて忙しいはずの大人がそこまで手を差し伸べてくれるなんて中々やりたくてもできない事と思う。
「毎日、1時、2時ですよ、あいつのおかげで(笑)まぁ、あんな事があったんで」
お店が終わりプライベートの時間になると、翼氏がやってきて夜遅くまで一緒に作業しているそうだ。その姿勢はきっと仕事でもお客さんと寄り添って仕事をしているのだろう。
「そうですね。僕はいつもそういう風な感じになってます。だからお客さんが長いです。20年来のお客さんも多いので。ずっとみんな来てくれますね」
面倒を見るというのはこういう事だろう。今の時代には珍しいお店。
完成
2020年の5月、不意に襲われた火災。そこから1ヶ月後にスタートしたマシン制作。翌年の2021年2月にはエンジンを積み、9月にはボディの塗装。
2021年はドリドレ本戦が5月から10月に変更されたのだが、最終調整が間に合わず走らず展示だけを行い、2022年3月の34祭りでシェイクダウン。
その後、D1地方戦に参加するが借りていたミッションをブローしてしまう。
「高木さんに、すいません、ドリドレどうしよう?って相談したら、デモカーにGT-R用のシーケン乗ってるから降ろして、貸すから載せたらええやんみたいな感じで言ってもらえて」
右往曲折を経て、ようやく完成に至る。それがこの姿。
金策
いくら周りの人が協力してくれたとはいえ、リアルな話、これらの費用はどうしたのだろうか?燃えてしまったER34もかなりの資金を突っ込んでたはずだ。
「資金的には売れるもんは全部売りましたね(笑)。足で乗ってたアルファードとかもこれでお金かかるんで売っちゃったし」
「普段は軽でいいやぐらいな感じで(笑)ハハハ。仕事も朝9時から夜9時まで働いて。夜9時に仕事終わってから自分の車を夜中やってみたいな感じで。それで仕事が休みの日は実家でバイトしてって感じで」
「本当に…もう…2年間くらい悲惨な生活して(笑)」
体力やお金に追われると大人でもメンタルに支障をきたすはずだが、若くしてよく乗り越えたと思う。当たり前ではあるのだが、なかなかハードルは高かっただろう。
「いや、しんどかったすよ(笑)。本当にしんどかったすね。最近だいぶ余裕は出てきた感あるんすけど、体力的にも精神的にもしんどかったんすよ(笑)」
「お金かかるんで働かないといけないし。かといって働いてるだけじゃ車進まないし、みたいな。だったら寝る時間を削るしかないみたいな感じで。造ってる時は夜中帰ってきて寝る前とか、このまま続けられるのかな…と何回も思ってました」
やはり自問自答、葛藤に襲われたそうだ。
ER34のスペック
さて、せっかくなので復活したマシンの詳細をお披露目したいと思う。
まずは外装から。
「外装のイメージは、NISMOのZ-tuneの4DOORバージョンみたいなイメージですね。ボディはKY0というダイヤモンドシルバーに塗って」
フェンダー、サイドステップ、リア周りはオオクボファクトリーのボディキット。フロントバンパーはZ-tune。ご存知かと思うがZ-tuneのバンパーといえば高額なはずだが本物なのだろうか?
「当時納期が長くて。頼んでも1年とか来ないみたいに言われて。で、大阪の先輩がバキバキのあるよみたいな。バキバキのやつなら売ってあげるよって言われて、それを激安で売ってもらって、自分でFRPとパテで直して。でオオクボファクトリーのフェンダーにするとなると横のアダプターがいるんで、一緒にスムージングして」
リアのウイングはAPMのカーボンウイング。燃えてしまった34とは異なり全体的に落ち着いたイメージ。これは狙って造ったのだろうか?
「前回のは本当にまぁ、外装だけというか。結局外装を先に造っちゃって中身やりたかったけどできなかったんで。今回は中身からやろうと思って(笑)外装は大人しいけど中身はヤバイよみたいな」
足回り
「車高調はHKSのハイパーマックス、前後。で、これに合わせて足回りは全部ゴールドみたいな感じで、メンバーもアームも全部塗って」
「フロントのアッパーだけはないんで、クスコが付いてるけどアーム類はD-MAXですね」
キャンバーについてはフロントは寝かし、リアを起こしている。
「結局ドリフトメインで走るんで、フロントは切れ角も上がってるのもあって少し寝かして。走ってる時の設置感というか、後ろはなるべくタイヤを全面使ってグリップさせたいんで、後ろは起こしてるみたいな感じで。本当にドリフト専用ですね」
ブレーキは前後GT-RのBrembo。
「ホイールはNISMOのLM-GT4ですね。9半+12の通しで。タイヤはフロントが235/40-18のネオリン。後ろは265/35-18のサニュー。いつもネオバとかNSR、ネオリン、サニューとかバラバラですね。もう本当走るだけのタイヤみたいな感じで」
エンジン
Zさんから譲ってもらったエンジンもかなり調子が良い様子。
「ZさんからもらったRB25のNeo6ベースの2.6L、ボアアップにRSEのポンカム。で、ウォーターポンプ類をリフレッシュ。あとは高木さんのところにあったサージタンクと、高木さんのところにあったエキマニと、高木さんのところにあったHKSのTO4Sのタービンをとりあえず付けて(笑)」
「インジェクターはBOSCHの1050cc。あと、コイルがジュラテックさんのR35コイル流用キットが付いてます」
馬力は本人も出るとは思っていなかった609馬力。
「高木さんと500くらい出たらいいやろうって感じでやってて。測りに行ったら、さらっと一発目から500近く出てきて、おおっとみたいになって。ブースト1.5キロくらいで609馬力も出て。高木さんもびっくりしてましたね(笑)」
予想外の馬力に今後はパイピングを見直す必要が出てきたとの事。ミッションはクワイフのシーケンシャルドグミッション。クラッチはATSのメタルトリプル。
室内
室内はドンガラ状態、これからスポット増しとロールバー溶接を行う予定だそうだ。バケットはBRIDEのZETA3が二脚。
メーターはECUマスターのモニターとAEMのAF計のみとシンプルだが、ECUマスターがすごい。
「真ん中が回転数で、右にバッテリー電圧とかが出てて、水温、ブースト、油温、油圧と、ブーストのローハイとかアンチラグのオンオフとかが出るようになってますね」
メーターが8000回転しかない製品なのか聞いた所、これは高木さんにより作られた画面らしい。
「そう、高木さんがこれを作ってくれて、ブーストはここ、回転数はここみたいな感じで。何を画面に出すか、ブースト、ローハイとかアンチラグオンオフが見れるようにとか、ウィンカー右出てる左出てるも見えるように」
やる気が出るメーターというか、自分好みに設定できるなんて夢のようである。助手席には右からLINK、ECUマスターの管理ユニット、ヒューズボックス。
ECUマスターはサイドブレーキ横のボタンがついたCANボードにもつながっている。
「管理ユニットとボタンがつながってて、ボタンを押すと管理ユニットが信号を発信してくれるみたいな感じです。ユニットの中にリレーとかヒューズが入ってるんですけど、もし切れてもキーボードのボタンについてるリセットを押すと、ヒューズが復活するみたいな。ヒューズ交換とか何もいらないんですね。バチって飛んでもリセットを押せば戻るみたいな感じで」
ECUマスターはいわばマネージャー的役割で、エンジンのオンオフからヘッドライトやウインカーの点灯まで一元管理してくれる優れ物。エンジン制御のLINKとこのECUマスターで車を制御している。
「純正ハーネスとか高かったんですよ。何万円も出して純正を買ってやるんだったら、こういうのがいいんじゃないってなって。カッコいいし、スッキリするしみたいな」
トランクにはコレクタータンクと燃料ポンプが見える。バッテリーはMEGALIFE。フィッティングとホースは高木さんに教えてもらいながら自分で組んだそうだ。
水色のポリタンクは水温が上がった際にインタークーラーなどに水を吹き付ける為に積んでいる。これもいずれはLINKで制御したいとの事。
教訓
火災から約2年の月日を経て完成したER34。
「何もかもが違いますね(笑)。別物ですね。パワーも倍ぐらい出てるし」
撮影時は足回りのセッティングが出ていないせいか、煮詰める箇所があるとの事だが満足気に話していた。おそらくできる事はやって、その結果にも満足しているのだろう。
今回の出来事を第三者の立場で見ると、重要なポイントがいくつか見えてくる。一つは火災後に手を差し伸べてくれた人がたくさんいた事。もう一つは前向きに行動した事。
“辛い時に手を差し伸べてくれる人こそ大切にすべき人”という言葉があるが、自分には手を差し伸べる余裕があるだろうか?痛みを分かち合える人がいるのだろうか?
同じ目に合ったとして、火災の原因追求に躍起になる訳でもなく、ふさぎ込む訳でもなく1ヶ月後に制作を始められるだろうか?
自分に置き換えて考えてみるべきだろう。きっと大切な何かに気がつくはずだ。それがすべき事、改めるべき教訓である。
高木さんは火災の原因についてこう語る。
「原因は分からないけど、それでいい。あれが放火だって言われたら責任追及になっちゃう。だから個人的には分からない方がいいと思ってます。よくその話にもなってたんだけど、そんなことより先に進む事を考えた方がいいってね」
「やり直しはどんだけでもきくから。1000万の借金なんて返せるからって。だから箱をくれた人や協力してくれた人が、良かったって思ってもらえる所までやらないとあかん。それが最高の恩返し」
エピローグ
さらに高木さんは翼氏にこんな事も言っていた。
「復活したいんだったら前よりもそんな風に復活するの?って方がインパクトが強いし。僕はそれに協力できたことがプラスであるしね、仕事的にも。その代わり、復活してからツバサの立ち振る舞いがすごく重要になるよって。そういう事に対して経験と年齢を重ねて人間ができるようになるじゃないですか?」
「これからお前がちゃんと立ち振る舞いを考えてちゃんとできれば、部品もお金も使った時間も回収できるからって」
翼氏は高木さんの言葉の通り、燃えてしまったER34を超えるマシンを造った。
決して楽な選択ではなかったかもしれないが、転んでも望んで行動すればおのずと結果はついてくるという事を20代で証明した。
これは実話である。
翼氏はこれからの目標についてこう話す。
「しんどくて、ふと我に返る時もあったんですけど、自分の中でやりたいことはやりきりたいと思ってました。この先ですか?どうなるんすかね(笑)。なんだかんだやりたいこと増えていっちゃうんで」
取材後、開催されたドリドレ本戦。翼氏は念願のドリドレチャンプを獲得。そして12月にはD1地方戦ミドルウエストで優勝を飾った。