日系二世のマルティンさんは日本のドリフトフリークの中でも、少し変わった経歴を持っている。
彼の祖母は、戦時中に沖縄から船に乗ってアルゼンチンに渡った。今の日本からは想像もできない苦労があったであろう。その後マルティンさんが生まれ、13歳の頃に親戚を頼って日本にやってきた。
多感な時期に日本に来て「日本語も分からないまま学校に通っていた」と言うから本人もずいぶんと苦労をしたように思う。マルティンさんは現在、国籍も取得して働きながら車あそびをしているそうだ。
兄の影響で車が好きになった
この日は、オートマ車から載せ替えのc35ローレルを乗っていたが、他にも33スカイラインや15クラウンなど所有しているそうだ。
彼のお兄さんはアルゼンチンでゼロヨン系のショップをやっているそうで、お兄さんの影響から車遊びにはまったらしい。
アルゼンチンのドリフトイベントに出場していた
彼は、日本に来てからも母国アルゼンチンの仲間と交流を続けている。その中もで興味深いのは、日本のD1グランプリにあたるイベント「Drift Sudamerica」の出場経験。
現在、彼の知る限りドリフトを専門とするイベントは、このイベントだけらしいが、ワイルド・スピードなどの影響からか日本車やドリフトに対しての関心も高まってきているという。
日系人での参加はまだなかったそうで、シルビアのs13やr32スカイラインに乗って出場していた彼は、ちょっとした人気者になったそうだ。
日本のドリフトシーンについて聞いてみた
軽い気持ちと言えば大変失礼だが、車についてお話を聞かせてもらおうと声をかけたところ、思わぬ奥深いストーリーを聞かせてもらった。彼はこれからも日本で仕事を続けながら「ドリフトが上手くなりたい」との事。
最後に日本のドリフトについてどう思うか聞いてみた。
「自分からしてみれば、日本のドリフトは最高です。外国生まれ育ちでも日本のドリフトは1番だと思っています!」