2017年4月1日から社名をSUBARUに変更することになった富士重工業。
富士重工業が開発・生産する自動車のブランドがスバルです。
富士重工業がこれまで歩んできた歴史を、歴代の自動車を通してご紹介します。
富士重工業の歴史
富士重工業を語る上で欠かせないのが、戦後まで軍用機を手掛けていた中島飛行機。
当時、中島飛行機は世界的にも知られていた航空機メーカーで、軍事需要を背景に軍用機の開発や生産をしていました。
戦後、GHQにより中島飛行機を前身とする富士産業は解体され、12社に分割されることが決定。
12社の中5社が共同出資することで、富士重工業が誕生することになります。
量産車第1号・スバル360の誕生
スバル360という名前は、車好きであれば一度は耳にしたことがあると思います。
スバル360は富士重工業の量産車第1号で、百瀬晋六氏が開発の陣頭指揮をとったといわれています。
スバル360は、フル・モノコックボディのリアに空冷式のエンジンを横置きにレイアウトし、トーションバー・スプリング式のサスを日本で初めて採用。
フォルクスワーゲンやルノー・4CVに似たフォルムは、非常にコンパクトにまとめられましたが、4人が乗れる居住スペースを確保しました。
搭載されるEK31型エンジンの出力は、グロスで16PS/4,500rpmとなっており、後に25PSまでアップ。
当時、日本の自動車は、お金持ちの乗り物という存在でしたが、スバル360の登場で、自動車は庶民にも手が届くマイカーとなりました。
スバル360は、1958~1970年まで約39万台を生産するロングヒットになり、てんとう虫という愛称で親しまれました。
水平対向エンジンを搭載したスバル・1000の誕生
スバルを世界的な自動車のブランドに押し上げた原動力は、水平対向エンジンと4WDの存在だといっても過言ではないでしょう。
1966~1969年まで生産していたスバル・1000は、同社で初めて水平対向エンジンと前輪駆動(FF)を採用しました。
スバル・1000は、4ドアセダンのフロントに、水平対向エンジンを縦置きにレイアウト。
FFの自動車に不可欠であった等速ジョイントは、D.O.J(ダブルオフセットジョイント)とよばれ、D.O.Jの開発を成功させ、スバル・1000に搭載したことにより、日本の自動車にFFの駆動方式を採用することが多くなりました。
スバル・1000のレイアウトを踏襲しつつ、4WD化やターボ化に成功させたのがレオーネで、レガシーが発売されるまでの主力自動車となります。
軍用機の製造で培った技術が活かされているスバル360で自動車の製造に本格的に乗り出した富士重工業。スバル・1000の水平対向エンジンを縦置きに搭載するレイアウトを引き継いだレオーネやレガシーの開発に成功し、スバルのブランドが花咲きました。